積丹半島の付け根にある港町「岩内」をめぐる
丘に抱かれた港町へ
この日は、余市で車を借りた。国道5号を南下すると、仁木町を過ぎ、厳しい稲穂峠を越える。倶知安側の激しい下りに驚きながら小沢駅近くから国道5号を離れて国道276号に入ると、急に視界が開け、所々にゆるやかな丘が並ぶ風景が広がった。日本海側の冬の厳しさを想像させる北海道らしい開けた地形だ。

車の流れに沿うようにしばらく走ると、急に中規模な商業施設がいくつか現れ、市街地らしくなってきた。そして丘を下ると岩内の市街地に入る。港町の雰囲気が少しずつ濃くなってくる。
静かに時が流れる中心市街地
岩内のまちのランドマークとして国鉄岩内線の旧岩内駅跡地にバスターミナルがあり、そこから伸びる道路と東西に走る国道276号の交点がどうやらこのまちの中心のように見える。一方で、交点に市街地としての「中心」感は薄く、商店街としては、閉店した店も含め、東西に長く広がる。建物に歴史感はない。北海道らしい積雪に対応した建物が建ち並び、道路も除雪を想定してかゆったりとした路側幅がある。

こうして書くとなんだか寂しい海沿いのまちのようだが、北海道の広大な平野や山を走ってきた身からすればかなり立派な市街地に映る。港周辺だけでなく、その南にある高台にまでしっかり人が居住しており、東西に長い。スーパーも数軒あるし、クルマ通りもそれなりだ。
岩内バスターミナル周辺は交流拠点となっており、この日は秋の休日ということもあって、多くの人が立ち寄り、休憩や海鮮丼の食事処を探していた。少し駐車場を探すのに苦労したくらいだ。岩内バスターミナルの中を少し覗くと、10人程度の人が札幌へのバスを待っていた。ここまでバスで来たのか、クルマで来たのかは果たして不明だが、どちらも考えられそうだ。それにしても、人口1万人*1のまちの昼間の高速バス、札幌についたら夕方にかかりそうな時間のバスに10人も待っているのは驚かされた。*2
岩内バスターミナルから港へクルマを進めると、それなりに大きくも穏やかな漁港があった。休日の昼なので、実に静かである。北海道の漁港らしく、テロ警戒の立て看板が立つ。日本語・英語だけではなく、中国語・ハングル・ロシア語など数カ国語で書かれているのも興味深い。

このまちの歴史は、多くの北海道の日本海側にあるまちと同様に、ニシンの恵みと共に始まった。江戸時代後期、凶作を逃れて和人たちが北上し、松前、江差、瀬棚と漁場を求めて進み、やがて岩内*3にたどり着いた。明治期に入ると、まちは大きく発展する。明治末期から大正年間にかけて多額の町債による港湾改修が行われ、現在のまちの骨格が形作られていった。
鉄道も早くから誘致に力を入れ、まず馬車鉄道が開設された。後に国鉄岩内線となり、一時は倶知安やニセコなどの内陸部の厳しい地形を避ける海ルートを拓く路線としても期待された。しかし、その役割を終え、国鉄末期に廃線となった。平成に入ってからは直江津との間にフェリーが就航した*4が、これも1990年から1999年までの短い期間で終わりを迎えている。
現在の街並みが形作られたきっかけは、実は大きな災害だった。1954年9月、洞爺丸台風がもたらした暴風により、市街地の8割が焼失する大火に見舞われた。同時期の大火であれば、秋田県大館や長野県飯田に匹敵する面積の被害を受け、北海道による復興計画が実施された。しかし、まちの規模が小さいためか、公園整備と道路拡幅が主な事業となり、今日見られる広い路側幅もその名残といえる。*5
まちを巡っているうちに昼飯時になり、中心市街地の寿司屋に入ってランチの寿司を頼んだ。特に白身の魚がうまい。ウニはあまり得意ではなかったのだが、ここで食べたウニはおいしく、保存や調理の技術がある寿司屋なのだろう。とても満足した。*6
眺望が語りかけるもの
昼飯のあとには南にある山へと車を走らせた。中心市街地を見下ろせる展望台があるという。山の中腹が昭和後半にリゾート開発されており、スキー場などがあるほか、そのときに展望台も作られたようだ。

展望台からは眼下に岩内の市街地、奥には積丹半島と泊原発が見える。日本海に突き出た積丹半島の雄大な姿は、この地方ならではの風景だ。美しい積丹半島に目が行く人もいるだろうし、泊原発の近さにビックリする人もいるだろう。現に自分も、まちからこれほど原発が間近に見えるとは思っていなかった。
原発に関連する話でいえば、岩内から西に2つ隣の寿都町と北に2つ隣の神恵内村ではいま、高レベル放射性廃棄物、通称「核のごみ」の最終処分場地選定の話が進んでいる。*7岩内の市街にも電源立地対策交付金で建てられた建築物があった。
ニュースの知識やちらりと見える風景からだけでも、ただ楽しむだけではなく、受け入れにくいものを受け入れるという話にも動いているこの地の厳しい現実を否が応でも考えざるをえない。
風景の美しさは時として人の生活に厳しい場所であることを示す。それでも今日まで地域である程度の中心性を持つ岩内のまち、これからも目立たなくてもいいが、地域の中心としてあってほしいと思うのだった。
展望台を後にしながら、秋の空気が少し冷たく感じられた。まもなく冬が訪れる。厳しい季節を幾度も越えてきた岩内の人々の暮らしに、あらためて思いを馳せた。
*1:人口は1970年代の2万5000人がピーク。また、明治末期には1万人台後半から2万人在住というデータもあり、明治末期より現在の方が人口は少ない
*2:乗車人員だけではなく、岩内はバスの本数もほぼ毎時1本と多い
北海道中央バス「高速いわない号」時刻表
*3:岩内の語源ははっきりしないが、硫黄の川、軽石が多い川という説があり、下記サイトで詳しく検証されている。
岩内の由来と歴史 ~硫黄の川はどこにあるのか~ | 北海道と小樽の地名
*5:【特集】岩内大火復興70周年(後編)絶望の焦土からの再起 | マイ広報紙
*6:岩内港自体はいか・さけが多く採れる
*7:“核のごみ”最終処分地選定に向け 北海道寿都町と神恵内村の「文献調査」報告書 町と村と道知事に提出 | NHK | 「核のごみ」処分場選定