「磐梯東都バス」廃止直前の「中ノ沢線」で温泉と廃線跡を訪ねる

東京に本社を置き、首都圏を主な営業エリアとする「東都観光バス」。初めて利用した時、名前から名探偵コナンの映画『時計仕掛けの摩天楼』に登場する「東都環状線」を連想してしまったのを今でも思い出す。

以前は池袋に本社を構えており、数ヶ月だけ私の職場がその近くにあったことがある。1970~80年代築のビジネスホテルを思わせる外装に、ずいぶん立派な社屋だと感心したものだ。

 

 

そんな東都観光バスは、昨年まで福島県に路線バスを運行する子会社を持っていた。軽く調べたところ、創業者の郷里が福島県であるようで、その縁で1980年代後半からホテルやゴルフ場といったリゾート事業も手がけていたようだ。そして2003年、喜多方から裏磐梯を結ぶ路線バスの運行会社「磐梯東都バス」を設立した。その後、会津バスの営業エリアを引き受けるような形で事業エリアを拡大した。

しかし、少子高齢化の流れと2020年からのコロナ禍の影響で、結局のところ事業継続は困難と判断したようだ。猪苗代町から委託を受けて運行していた4路線も含め、2023年9月末をもって全路線が廃止されることとなった。

この「磐梯東都バス」が運行を終了する直前に、私はこのバスに乗る機会に恵まれた。

いくつかある路線のうち、乗車をしようと考えたのは中ノ沢温泉に向かう中ノ沢線だ。猪苗代駅から猪苗代市街地を通り、国道115号線に沿って山奥へと進む路線で、終点近くにある中ノ沢温泉に浸かりたいという気持ちもあった。

この日、郡山での仕事を終えて乗車した磐越西線の2両編成は思わぬ混雑ぶりを見せていた。どうやら青春18きっぷのシーズンだったことと、郡山近郊の利用客も多いらしい。途中駅でなんとか4人がけのボックスシートに身体を滑り込ませ、猪苗代駅までは約40分。スキーをする身としてはウインタースポーツの印象が強い土地だ。駅前からも雪はないものの、猪苗代スキー場が見える。

 

磐梯山と猪苗代スキー場

 

駅前のロータリーの端っこに、東都観光カラーのバスが停車していた。トップドアのいすゞガーラミオで、送迎バスのような雰囲気がある。私の他に乗り込んだのは2名ほどだったろうか。磐越西線の混雑ぶりとはなんとも対照的だった。

 

猪苗代駅前に停車中のいすゞガーラミオ

 

バスははじめ猪苗代市街地の中を走る。市街地には「バスセンター」というバス停があったが、周辺には商店街の駐車場がある以外、それらしき施設は見当たらなかった。会津バスの時代もバスセンターは駅前にあったそうだから、なんとも謎めいたバス停だ。

市街地を抜けると国道115号に入り、長瀬川に沿って北上する。しばらく走ると急に国道からそれて、今度は集落の中を通る1.5車線道路を走る。再び国道に戻り、裏磐梯方面へのアクセス路である国道459号と交差する。このあたりからはバスは廃線となった「沼尻軽便鉄道」の跡に沿って走っていくルートとなる。

「沼尻軽便鉄道」は「軽便」の名の通り、ナローゲージ軌間762mm)の鉄道路線で、硫黄鉱山から鉱石を運ぶ貨物輸送主体の鉄道だった。しかし天然硫黄の需要減に伴い、1968年に鉱山は閉山。同年、鉄道線も休止となり、翌年には廃止された。

バスは少しずつきつくなる上り坂を登っていく。バスでもはっきりと感じられる上りなのだから、軽便鉄道時代はかなりの急勾配だったのだろう。実際、国道115号が東へと向きを変えるあたりからの鉄道線は30‰から40‰の急勾配だったという。鉱石を運ぶ下りにせよ、空荷とはいえ貨車を牽引していく上りにせよ、相当厳しい勾配だったことは想像に難くない。
一方でバスは、時折集落への旧道を走りながらもすいすいと登っていく。私はこういう狭隘な道路に入り込んでいくタイプのバス路線が好きだ。集落の狭隘な道路に入る度に人々の営みと寄り添っている感覚を覚える。

 

中ノ沢線の沿線風景。のどかな山あいを走っていく

 

バスが国道から県道24号に入ると、やがて中ノ沢温泉の温泉街が見えてくる。温泉街を抜けきる手前で右折し、突如幅一杯ほどの狭い道に入る。区間は短いが、狭隘路線好きとしては最もわくわくするポイントである。

森の中を数分走ると集落に差しかかる。ここが達沢、このバスの終点だ。山あいの静かな集落で、バスは乗客を降ろすと公民館らしき場所に停車し、折り返し時間までしばしの小休止をとっていた。

 

中ノ沢線の終点、達沢バス停

折り返し場で小休止

 

折り返しのバスでは一度中ノ沢温泉を過ぎ、「沼尻」バス停で下車する。国道115号と県道24号の分岐に近く、かつては「沼尻軽便鉄道」の終点、沼尻駅があった場所だ。硫黄鉱山はさらに山奥にあり、採掘された鉱石はここまで索道で運ばれ、積み替えられて鉄道で山を下っていったのだという。駅舎は今も残されている。どうやら商店として使われていたようで、「地域振興券」のステッカーが貼ってあった。まだ20世紀、私が小学生だった頃のものを見つけ、一瞬懐かしさに浸った。

 

沼尻駅の駅舎。少し移設されており、営業当時とは向きが異なる

 

ちなみに今回ここまで「沼尻軽便鉄道」という名前を使用してきたが、営業中にこの名称が正式なものとして使われたことはない。あくまで現存する案内板ベースの名称なのだ。この鉄道は会社名が何度も変わっている。末期は観光開発を考えていたのか「日本硫黄観光鉄道」となり、最終的には「磐梯急行電鉄」と名を変えて廃線となった。

実を言うと、この記事を書くにあたっては「沼尻軽便鉄道」という路線名で表記するまでに迷いがあった。廃線時ベースであれば「磐梯急行電鉄」となるが、少なくとも非電化のまま廃線になった鉄道を「電鉄」と呼ぶのはどうかと思う。「急行」に関しても、ナローゲージゆえに大変怪しい。そうなると、「沼尻鉄道」が次点で挙がるが、なんとなくしっくりこない。結局、案内板ベースにした。

ちなみに「磐梯急行電鉄」について少し調べると、和歌山県にある紀州鉄道との関係や、さまざまな怪しげな噂が浮上してくる。のどかな風景の中を走り、歌謡曲「高原列車は行く」の舞台にもなった沿線の様子からは想像もつかない、会社という「ハコ」としての背景があるようだ。

 

駅舎のある敷地の横には沼尻駅がここにあったことを示す案内板とバス停が置かれていた。
六角形が2段重ねになっている県道の標識は福島県特有のものだ

 

さて、沼尻駅跡から10分ほど上り坂を歩けば中ノ沢温泉に着く。昼下がりの温泉街は人影もまばらだ。いくつかある温泉宿のうちの1つで日帰り利用を申し出て、温泉に浸かる。鉱山に近い沼尻温泉から湯治客のために引湯して作られた温泉地だそうで、泉質はもちろん硫黄泉。酸性度も非常に高い。ちなみに源泉からは毎分1万リットル以上も湧出しているという。そう長い時間浸かっていたわけではないが、十分温まることができた。

温泉街を歩くと、「中ノ沢こけし」の幟が目につく。温泉地とこけしがセットになっていると、東北に来たのだなという実感を覚える。中ノ沢こけしは、目と鼻の描き方が非常に特徴的だ。宮城県こけしでみられる女性的な印象とは異なり、男性的な印象を受ける。「たこ坊主」という通称でも呼ばれていたそうだ。系統としては土湯系から分かれ、宮城県の遠刈田からきた木地師の影響を受けた「中ノ沢系」として近年認定されたのだとか。

温泉街を歩いてほどよく涼んだところで、帰りのバスがやってきた。

 

狭隘路から中ノ沢温泉の温泉街にひょいっと顔を出してくる

 

帰りのバス車両は三菱ふそうエアロミディ。心地よさに半分うとうとしながら乗っていたが、途中で1人か2人乗ってきただけだった。確かに撤退もやむを得ないかもしれないと思わされる。

磐梯東都バス撤退に関する事情は、地域経済誌政経東北」に詳しく取材した記事がある。どうやら撤退前の磐梯東都バスは猪苗代駅から裏磐梯エリアを結ぶバスを除けば、猪苗代町から委託費用を補助されて運行していたらしい。実質的なコミュニティバスというわけだ。そして当初は、排ガス規制で東京で運行できなくなったバス車両の利用も考えていたという。

 

www.seikeitohoku.com

 

東都観光バスは観光バス会社の車両なので、路線バスへの転用はバリアフリーや運行経路の道路幅などの問題から一筋縄ではいかないと思うが、一体どういう計画だったのだろうか。当事者ではない私には知るよしもない。現在運行している車両は首都圏の路線バス事業者から転籍してきたものも多く、当初の構想通りにはいかなかったのかもしれないとは思う。

ちなみに2023年10月からは、磐梯東都バスの路線網は会津バスに運行がそのまま引き継がれていた。つまりこのエリアのバス網では、会津バス→磐梯東都バス→会津バスという変遷をたどったわけだ。
バスのカラーリングは一部会津バスのものに塗り替えられているようだが、2024年春現在、磐梯東都バスのカラーに会津バスと書かれた車両も運行中だそうだ。

たまたま乗る機会に恵まれた磐梯東都バス中ノ沢線。沿線や終点の風景や刻まれた歴史に触れ、思いがけず濃密な乗車体験となった。そして、各地の路線バスに揺られるのは、やはりよいものだと改めて感じたのだった。