まち探訪家・鳴海侑の2020年9月・10月仕事まとめ(+今後の告知)

9月からはライター以外のお仕事も始まり、色々と仕事のバランスを考えることが増えてきました。また、やりたいことを模索する日々でもあります。

今後もしかすると、やっていく仕事の方向性も変わるかもしれませんが、それでも「まち」をマクロに見ていくことは続けていきたいなと思います。

webメディア公開記事

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廃線跡からレトロ団地まで 東京で鉄道が通らない唯一の市「武蔵村山」を巡る【連載】多摩は今(1) | アーバン ライフ メトロ - URBAN LIFE METRO - ULM 都内の「鉄道のないまち」として知られる武蔵村山市。そんな同市の魅力について、まち探訪家の鳴海侑さんが解説します。 urbanlife.tokyo

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品川発の1時間プチ旅行 路線バス「品97」系統で楽しむ山手線内側の知られざる風景とは | アーバン ライフ メトロ - URBAN LIFE METRO - ULM 東京都心の移動は鉄道を使う人が大半ですが、時間に余裕があるときはバス移動もおすすめです。今回取り上げるのは都営バス「品97 urbanlife.tokyo

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鉄道空白地域解消へ 動き始めた多摩都市モノレール「箱根ケ崎延伸」予定地のいま | 乗りものニュース 多摩都市モノレールの上北台~箱根ケ崎間を延伸する構想を具体化する動きがでてきました。その構想とはいったいどういったものでし trafficnews.jp

・10/23:車両基地からレトロ飲み屋街まで 都心のエアポケット「大井町」を巡る(アーバン ライフ メトロ)

車両基地からレトロ飲み屋街まで 都心のエアポケット「大井町」を巡る | アーバン ライフ メトロ - URBAN LIFE METRO - ULM 東京を代表する巨大ターミナル・品川駅からひと駅の場所にある大井町駅。そこには便利さだけでなく、昭和の香りがまだ残っていまし urbanlife.tokyo

なんだかメディア・ヴァーグさんのおんぶにだっこというようなラインナップですがたまたまです。諸般の事情があり、また来月以降に他のwebメディアさんについて公開の話ができるかと思います。

今後のnote運営について

そろそろ有料のnoteをはじめようかなとも思っています。

内容としては以下のようなイメージです。

・日々のニュースの雑感(無料)

○コースA(月額500円)
・まちの簡単な探訪記(月に3本で1本だけは無料記事)
・巷のまちの話題に関する話(月に1~2本)

○コースA+(月額1000円)
・コースA
・記事や取材のこぼれ話(月1本~2本)
・会員限定ラジオ配信

それぞれの有料記事は1本300円で、さらに気が向けばwebメディアとは関係ない有料記事も書こうかなと思っています。それは完全単品で販売したいですね。

少しオウンドの発信を試しながら、既存のwebメディアの発信もしながら、本も書きながらという感じで2020年度下半期を過ごしていきたいと思いますし、無理せずに徐々に出来ればいいかなと思います。焦らずお待ちください。

更新が止まっているmatinoteについてもそろそろ方針変更の気配があるかもという噂があります。来月またいい報告ができるようこちらもぼちぼちやっていきたいと思います。

まち探訪家・鳴海侑の2020年7月・8月仕事まとめ

2020年8月から本格的に活動を再開しましたので、仕事まとめを復活したいと思います。こういったまとめ、やらなくなってからむしろ必要性を感じるシーンが増えました。よく考えれば、お仕事をさせていただく媒体がそれだけ増えたということなんですよね。ありがたい話です。

webメディア公開記事

・7/9:コロナ禍で「いいとこ取り」な生活をしたければ東京郊外に住みなさい(アーバン ライフ メトロ)

コロナ禍で「いいとこ取り」な生活をしたければ東京郊外に住みなさい | アーバン ライフ メトロ - URBAN LIFE METRO - ULM 5月25日の緊急事態宣言解除以降、働き方や働く場所に関する価値観が変化しています。テレワーク普及で今後、東京の街はどのよう urbanlife.tokyo

・8/4:地下鉄路線延長日本一に 横浜市営地下鉄延伸線計画予定地のいまとダイヤを予想する(乗りものニュース・有料記事)

地下鉄路線延長日本一に 横浜市営地下鉄延伸線計画予定地のいまとダイヤを予想する | 乗りものニュース 横浜市営地下鉄ブルーラインは、あざみ野駅から新百合ヶ丘駅までの延伸が計画されています。延伸されれば、ブルーラインは地下鉄で trafficnews.jp

・8/25:タワマンと市場だけじゃない! 埋め立ての歴史から見る「豊洲」の知られざる側面とは (アーバン ライフ メトロ)

タワマンと市場だけじゃない! 埋め立ての歴史から見る「豊洲」の知られざる側面とは | アーバン ライフ メトロ - URBAN LIFE METRO - ULM 近年目覚ましい発展を遂げている江東区・豊洲エリア。一般的にタワーマンションや富裕層がイメージされるエリアですが、一概にそう urbanlife.tokyo

・8/27:テレワークで需要増も、もう一度考えたい「八王子」の価値(楽待不動産投資新聞)

https://www.rakumachi.jp/news/column/265391


やはり、短期・中長期共にコロナ禍のことを念頭に置きつつ書き進めていくことが多かったように思います。

このときは短期的にはお出かけを積極的に勧められないという状況下で、中長期的にはテレワークの普及を念頭に置いています。この頃よりは10月は平日・休日共にかなり都心に人が戻ってきているのを感じました。

それでも大都市中心市街地では2~3割、あるいは5割人流が減少しているとデータが示しており、東京エリアだと周縁部では減少幅が少ないところやむしろプラスに転じているところもあります。

新型コロナウイルス(COVID-19)感染症の対応について|内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室 新型コロナウイルス感染症の対応について、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室より、国民のみなさまに向けて情報をお届け corona.go.jp
緊急事態宣言前後の人口変動分析 mobaku.jp

この流れは現時点のものですが、中長期的に続くような気がしています。するとやはりエリアによってばらつきのある人流変化を無視するわけにいかないですし、ライフスタイル変化を前提にした記事を色々と書かないといけないと思っている昨今です。

ペンネーム、改名しました。

これまで、まち探訪家として、鳴海行人(なるみ・こうじ)と名乗ってきました。ところが読み方がなかなかわかりにくい。読み間違えられる。自分でも読みについて説明しにくい。そして男性っぽすぎる。

そこで休業という区切りもあって改名を決意し、鳴海侑(なるみ・ゆう)と名乗ることにしました。

改名にあたっては色々条件をつけました。
1.読みやすい(呼びやすい)
2.中性的な名前である
3.書きやすい
4.印象に残りやすい
5.書く仕事をしている人の名前とかぶらない
6.画数がそこそこいいやつ

条件のうち、いくつかは旧ペンネームである鳴海行人の反省を盛り込んでいます。まず読みやすさは大事です。これは痛感しました。

また名前の中性性。私は本名が中性的な名前で、どちらかの性別によった名前はあまり名乗りたくないと気づいたのです。なので中性的な名前に変えることにしました。あとは実務的なところやイメージ戦略ですね。

そして候補を5つまで絞りました。

鳴海侑(ゆう)
鳴海侑里(ゆうり)
鳴海凪紗(なぎさ)
鳴海凪咲(なぎさ)
鳴海怜菜(れいな)

個人的には一番綺麗だなと思ったのは「鳴海凪紗」でした。子どもができることがあったらつけるかもしれません。

しかしながら、リアルの場で名刺交換するときに私が「鳴海凪紗と申します」とは中々名乗りづらそうだなと思いました。怜菜も同じ理由で、ちょっとどうかなと思う部分がありました。

迷ったときは他者に聞く。それが私の行動方針なので、さっそくmatinoteの仲間に聞いてみました。すると、「侑」か「侑里」がいいのではないかといわれました。

確かに、名乗る時のイメージもつきやすいですし、名乗られた側もするっと受け入れられそうですよね。そこで、「侑」か「侑里」にすることにしました。

2つの候補のうち、よりするっと入りやすいのは「侑」の方だと感じます。
こうして、最終的に鳴海侑と改名することにしました。

ペンネームを変えると何か心機一転した気がします。休業を気に少し活動方針も変えました。

ぜひ、今後の「鳴海侑」の活動にぜひご注目いただければ、と思う次第です。

休業の経緯と休業中に考えたこと―復帰にあたって

2月中頃から持病とコロナ禍による自粛で休業しておりましたが、今週から復帰することにしました。
復帰とはいえ、当面の間は抑えめに活動をしていきたいと思います。そのため、本格的な再開は7月入ってからになります。

そして、持病による休業というとご心配をおかけした部分もあるかもしれません。しかし、実のところを言うと4月の緊急事態宣言以降はコロナ禍による休業という側面もありました。つまり、持病による休業が約2ヶ月とコロナ禍による休業が約2ヶ月と考えていただければと思いますし、持病については薬を飲めば問題なくなっています。

前置きはこのくらいにして、本記事ではそれぞれ休みの背景とその間に考えたことをまとめておきたいと思います。

※一部精神的な部分の描写できつめの表現が含まれますので、ご注意ください。

持病による休業について

私の持病というのはメンタル系の病気です。病名は「全般性不安障害」(GAD)というもので、昔ですと「不安神経症」と呼ばれていた病気です。

この病気の特徴は、特定のものに限定されず不安になりやすいということにあります。例えば職場で近い席で怒号や言い争いが起きていたときに自分に矛先が向くのではないかと不安になります。
直近の例でいえば、大災害や今回のコロナ禍のような社会的にピリピリする場面でも不安になります。酷くなるとうつ症状になります。今回は酷いうつ症状に至ったので休業に踏み切った次第です。

このように、コロナ禍は持病と相性が悪いのです。そこで、コロナ禍が少し落ち着いてくるまで休業ということにしました。先ほど、「持病休業が約2ヶ月、コロナ禍休業が約2ヶ月」と書きました。これは正確に言うと、4ヶ月の間どちらも入り交じっています。ただ休業理由より大きかったのがそれぞれ2ヶ月という意味と解釈していただければと思います。

持病による休業は昨年6月あたりから気配はしており、実は昨年中も断続的に寝込んでいました。しかし、年末のコミックマーケットにむけて道路公団民営化本と渋谷本(どちらも同人誌)を書いたところでいったんは忙しさも相まって不安どころではなくなり、年始にその反動がきて一気に病状が悪化しました。

今年に入ってからは2月までは何を書いても人格を否定されるような言葉が来るのではないかという不安と、そしてできるだけ完璧なものを書かなくてはならないというプレッシャーが強くありました。それが筆を鈍らせていきました。

最初は自宅外で執筆に専念することでごまかしていたのですが、自宅外でも書けなくなりました。するとどんどんと不安と焦燥感と孤独感が強くなっていき、うつ症状がでてきました。

「何のために書いているのだろう」、「書いていない自分はなぜ生きているのだろう」

つい考えるのはそんなことばかり。希死念慮も強くなり、さらに私的なことで落ち込むことがあったことも重なり、うつ症状は悪化していきました。そして「このままではうつ症状がさらに悪化する一方だ」と思い、2月中頃に休業を決断しました。

その後3月以降はコロナ禍もあって、さらに不安と希死念慮が強くなり、情報をシャットアウトするように努めました。医師から強い薬が処方され、通院回数も倍増しました。正直、3月中が一番しんどい時期でした。症状が落ち着いてきたのは5月頃から。現在は通院回数も戻りました。ただ、薬は強いままで手放せないという状況です。

コロナ禍による休業について

4月8日に緊急事態宣言が出されたことで、私の仕事にも著しい制限がかけられました。私は「まち探訪家」の名の通り、まちを歩いて、見て、書き残すという活動をしています。そのため、できるだけ日常のまちの姿を見ようと何でもないような日にまちを訪ねています。
しかし、「不要不急の外出は控えて」ということになれば、非日常のまちの様子が展開されることになります。つまり、緊急事態宣言下のまちは私にとって取材ができないことになるのです。また、外出して取材することに対する批判があるのではないかという思いもありました。

フィールドでの取材が制限されると共に図書館や公文書館の休館もで私にとっては大きな活動制限となりました。フィールド調査と資料調査、この2つは私にとって欠かすことの出来ない取材活動です。しかし、どちらも難しい状況では執筆活動どころではありません。そこで、自粛による休業をという形にせざるを得ないと判断しました。

唯一の例外が東洋経済オンラインの「コロナで危機「地方交通」、まず必要な対策は?」です。こちらはオンライン開催のフォーラムであり、外に出て取材する必要がなかったこと、また内容に「旬」があったことをに鑑みて例外的に執筆をしました。

5月25日に緊急事態宣言が解除されましたが、その後もまだ人々が動きを自粛している感じがあり、また友人に聞いてもリモート勤務を継続しているところが少なくありませんでした。そのため、ひとまず6月19日の都道府県間の移動自粛緩和までは取材および商業媒体への記事執筆は自粛としました。そこで、新たな活動としてwebラジオおよびnoteで少し活動をしていました。

都道府県感の移動自粛が緩和された直後に東京都心や横浜を歩き、ようやく人の動きが戻ってきていると実感しました。よっていったんは日常生活が戻りつつということにし、活動自粛解除といたしました。
ただ、これを書いている6月24日には東京都で新型コロナウイルスの新たな感染者が55人という情報が入ってきたように、引き続き予断を許さない状況ではあります。そのため、今後の取材については、国や地方自治体の発信する情報を基に慎重に判断していきます。

休業中に考えたこと

休業中には私的なこと、仕事のことで様々なことを考えました。中でも仕事に大きく関係することは大きく分けて2つです。

1つは今までの仕事でなにが精神的に負担となっていたのかということ。もう1つは「withコロナ」が1~2年続いた時にどういう形で仕事を続けるかということです。

まず精神的な負担の部分ですが、正直いって交通系の記事で負担が強くかかっているのを感じました。

私は元交通事業者勤務ではありますが、体系的に交通論を学んだことも無ければ特別知識があるわけでもありません。
一方で交通系の記事に関しては趣味者の知識レベルおよび記事に対する要求水準が高く(一応断っておきますが、批判しているわけではありません)、特に誤りの無い知識に基づく記述とレベルの高い考察が要求されると感じています。そのため、自分の知識レベルとの差がある分、執筆にかかるコスト(時間的、精神的)が記事単価に対して高いというのが私の正直な思いでした。

自分のレベルと記事に要求されるレベルの差を埋めるべく、細かい所まで万全を期すための取材が多く、取材に対して記事量(そして収入)が少なくなっていました。そのために悩むことも多くありました。また、交通系の一部のジャンルに関しては私が継続的に関わっていくことに不安を感じることも増えてきました(この点については改めて書くかもしれません)。

そこで今後しばらくは商業媒体で交通系の話題を扱う際、まちとも密接な関わりがある話題に絞ることにしました。具体的には乗りものニュースさんでやっている鉄道新線ダイヤ予想および鉄道未成線の記事と東洋経済オンラインさんでやっているようなターミナルや鉄道関連ビジネスに絞っていこうと考えています。いまは仕事としてありませんが、紀行文はニーズがあればやっていきたいと思います。
今までしていたその他の交通系の話題は継続のものは終了まで行うほか、新たな話題は雑感的にnoteで取り上げたり、ラジオで話したりすることになります。ただ、粒度は粗くなると思います。

次に「withコロナ」時代でいかに仕事を続けていくかについてですが、こちらは主にまちに関する仕事の話になります。
現在は東京圏のまちを中心にwebメディアでの執筆を進めているわけですが、コロナウイルスの感染拡大いかんでは取材が難しくなる可能性があります。

そこで全体的にじっくり腰をすえて行う仕事を増やす方向で考えています。
例えば、まち巡りのノウハウをまとめていくことを考えています。既に1社との間で少しだけ話をしました。ただ、他にも興味のある出版社さんやフリーの編集者さんなどいれば、その出版社さんや編集者さんの強みに合わせて書く内容を考えたいと思います。なので、ぜひTwitterのDMやホームページからお問い合わせをいただければ幸いです。

不確定要素が多い情勢下での活動再開ですから、当面の活動方針も手探りとはなります。おそらく方針がぶれながら活動しているように見える部分も出てくると思います。そんな中でも、温かく見守っていただけますと幸いです。

最近休業中ですが、近況報告です

ここ2ヶ月ほどコロナ禍による外出自粛ですっかりPASMOの履歴が減ってしまいました。4月は通院の時しか電車に乗っていなかったので、20回も乗車履歴が付いていません。

いつもなら半月で50回以上、多いときは100回近く行くときもあるので大幅な減少です。私も鉄道・バス利用回数は8割減ですね。

この外出自粛の影響で運輸業界は大幅な収支悪化が見込まれています。JR東日本はよほどのことがない限り今年度は赤字確定ではないでしょうか……。

JR東、役員報酬10%自主返納 コロナで4月の減収1000億円JR東日本は12日、新型コロナウイルスで鉄道営業収入が大幅に落ち込んだことなどを受けて、役員報酬を5~7月の3カ月間10%www.sankeibiz.jp


自宅環境を少し更新しました

近日また鉄道・バスの影響と対応はまとめるとして、私も外出できないとなると減収です。もちろん以前からコロナ禍や持病(コロナ禍も影響している)の影響で減収でしたので、国の持続化給付金をもらおうかと思っています。もちろん給付金はライター事業のパワーアップに回します。

特別定額給付金10万円も申し込みまして、当て込んでNintendo Switchを購入し、つい5日ほど前に自宅にきました。目的は室内運動で、本当はリングフィットアドベンチャーを買いたかったのですが、まだ手に入っていません。気力がなんとかある日は概ねフィットボクシングに励んでおります。35分でも結構疲れますが、カラダ年齢27歳と出たので大満足の29歳です。

また、自宅でのリモート打ち合わせやリモート飲み会が増えることを見越してマイクのセットも買ってしまいました。今のところあまり出番はありませんが、仕事に復帰できてくればこのセットも役に立つでしょう……。

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やけに立派ですが、PC側にかませているステレオミキサーと併せて1万円くらいです。自宅で何かのラジオができそう。

食事周りでは動かない分食事量を減らしつつ、自炊メインに徐々に切り替えています。たまに地元飲食店のテイクアウトをしたいときにしています。なんだかんだ自宅に居るように生活様式を変えるのでお金って使ってしまいますよね。

コロナ禍も一時期に比べて少し落ち着いてきたので、私も段々と調子を上げてきはじめました。世情不安にどうしても引っ張られる病気なので、世情が安定してくれば上向いてくるということです。その一環でリハビリもかねてブログ記事を書いております。


自分の関わるコンテンツをまとめました

そして今まで散逸していた自分発のコンテンツをまとめました。発信のしやすいコンテンツとしてデザインが直感的なnoteは以前よりありがたい存在でしたが、知名度の向上でようやく乗り換えられるようになりました。

<まとめる前>
ポートフォリオページ(https://www.naru.me/
・まちき。(ブログ)
・交通×IT最前線レポート
・medium(ブログ?)

<まとめた後>
ポートフォリオページ(https://www.naru.me/
 ⇒コンテンツ整理を行い1ページに収めました
・note(このブログ)
 ⇒ジャンル毎にマガジンを作成

ワードプレスは無料コンテンツを発信し、自分で管理するとプラグインcssのいじりがいもあることから少し負荷が高いのですよね。どうせ広告収入がないなら note の方がまだいいだろうという少し後ろ向きな(?)考えです。

ちなみに note だとサポート機能がございまして、絶賛お待ちしております。サポートをたくさんいただきますと、note で発信できるコンテンツが増えますので、ぜひよろしくお願い致します(宣伝)


自分の仕事を言葉でまとめました

次に自分の仕事を少し言葉としてまとめました(ポートフォリオページにも反映しています)。

まずは大きく「まちの仕事」と「鉄道・バスの仕事」に分け、以下のように整理しました。

・まちの仕事
スケールは少しマクロに。俯瞰的に見たまちの姿について概説的な解説を行う。その際に私なりの解釈を加えて伝える。ある種の作家性を持った仕事。

・鉄道・バスの仕事
スケールは1つの事象をクローズアップするくらいにはミクロに。事柄についてわかりやすく伝える。ある種、通訳者や翻訳者のような仕事。

コメント 2020-05-21 000411

こうして書くと今まで近接分野のように扱っていた仕事も大分性質が異なっていたのだなと思わされます。今後は意識して文章も変えていこうと思います。

ちなみに交通×IT(例えばMaaSやデータの標準化、オープンデータ)関係は翻訳要素が強く、日々めまぐるしく情報が変わり、私もついていけてない時があるのが現状です。

この分野、書き手が全然いないので誰か最前線の人がライターになってくれるとうれしい(MaaSのライターさんはいますが、もう少し日本にいてもピンとくるような地に足がついている話が欲しいところです)と思っています。

こうして臥せっている間にいろいろなことの整理もできましたし、そろそろ復帰ができるようになって原稿やらなんやらを進めていければいいなと思います。復帰まで、もう少々お待ちくださいませ。


【2019年7月】「広島、豪雨被災地を支えた「臨時バス」の舞台裏」に載せきれなかった災害時BRTの舞台裏(後編)

(過去の投稿のコンテンツをこちらに移しております。本記事は2019年7月15日のものです。)

本記事は東洋経済オンラインで掲載した記事に書ききれなかった話を載せています。

広島、豪雨被災地を支えた「臨時バス」の舞台裏 | ローカル線・公共交通中国地方を中心に甚大な被害をもたらした西日本豪雨から、この7月で1年が経った。豪雨災害による鉄道の不通は、地域の通勤・通学toyokeizai.net 

前編は「災害時BRT」の立ち上がりに際しての舞台裏、実行の中枢にいた呉高専神田教授のバックボーンについて紹介してきました。

後編では「災害時BRT」が走り始めて以降、情報提供についての取り組みについてと神田教授が提言する今後の災害対応に必要なことについて紹介していきます。

情報提供の舞台裏

さて、災害時BRTの開始やJR呉線代行バスのスタートで広島-呉間では輸送手段の充実化が図られた。ただ、系統は複雑化してしまう。すると次に情報の集約が必要となった。

実際、現地での案内はバスターミナルや駅にある紙ベースの案内がメインとなり、web上の案内は各事業者が事業者毎の情報を出している状態で、代行輸送の全体像を把握することは大変難しかった。それは東京大学の伊藤特任講師が現地入りした際に撮影された画像でもわかる。

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災害時の公共交通情報提供の実現〜西日本豪雨の際の広島〜呉間での実践を例に〜 from Masaki Ito

そのために、災害時緊急輸送船や緊急時輸送バス(7月17日から7月20日まで運行)ははじめ、利用率が非常に低かった。中国新聞では次のように報道されている。

江田島市の小用港を午前7時10分に出発して広島港へ向かう高速船和加には、17日朝、通勤・通学客120人が押しかける事態になった。定員96人の和加には乗り切れないため、はやしお(定員119人)を臨時に出し、分散させて運航した。この日は、この便を含め午前6~7時台の小用-広島の4便に計250人が乗船した。多くは呉港からの経由客という。この日運航を始めたJRの代行フェリー(定員500人)にはわずか70人しか乗車しなかったのとは対照的な結果になった。」
中国新聞2018年7月18日付け28面『「安心して広島に通える」』より引用)
JR西日本広島支社(広島市東区)によると、午前9時15分までに計33本を運行。同支社と広島県は乗車人数を千~2千人と想定していたが、乗客は計約500人にとどまった。」
中国新聞2018年7月18日付け32面『特例バス・フェリー始動』より引用)

7月19日付けの中国新聞でも緊急輸送船や緊急輸送バスの利用が伸びていないことが報じられている。

おそらくこれは当時、情報がうまく行きわたっていなかったことを示している。要因としては、災害時臨時輸送バス・緊急輸送バス・船舶情報がバラバラに情報提供されていたことに起因する。この後に運行されたJR呉線代行輸送バスも情報の粒度は荒かった。

こうした状況下だと人々の公共交通利用率も低下するし、外から来る人(ボランティアなど)もアクセスしづらく、「まだ呉は行ってはいけなさそうだ」となり、復興の足かせにもなりかねない。そこで情報整備は重要であった。だからこそ、神田教授ははじめ経路検索サービスへの代行バスダイヤの掲載を目指したのだ。

まず情報提供のレベル分けをし、できるところをやることとし、そのために情報をまとめて見られるようなHP作成を進めることに決めた。そこで鉄道・バスや船の運行情報を集約し案内するwebページを広島県バス協会のwebサイト内に8月10日に開設する。経路検索サービスからはこのページへのリンクを貼ってもらい、総合案内webページからは呉市交通政策課のwebサイト、広電バスの時刻表と実際の実績時分の情報ページ、JR代行輸送バスの走行位置情報などにアクセスできるようにし、情報が欲しい人に対し導線を作った。

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広島-呉間における公共交通の情報提供の導線イメージ(伊藤昌毅特任講師のスライドから引用)

続いて行ったのはバスロケーションシステムの展開だ。

特に呉線代行バスは各停便にはバスロケーションシステム実装の必要性があると判断された。なぜなら、途中バス停の時刻は公開されていなかったことで、途中バス停の利用者はいつバス停にいっていいかわからない状況にあった。ちなみに広島県で普及しているバスロケーションシステム「BUSit」というものがあったが、臨時ダイヤで運行していること、代行バスそのものが全国各地に応援を要請して走らせていることがあり、対応ができなかった。

そこでバスロケーションシステムを構築するということになったのだが、そもそもの話として短期間のバスロケーションシステムの設置は大変難しい。なぜなら様々な情報を載せているからだ。

バスロケーションシステムの扱う情報をざっと上げても「バスが営業中か回送か」、「バスの行先はどこか」、「バスが運行している向きはどちら方面か」、「計画ダイヤからの遅れは何分か」、「バス車両の情報」といったものがある。更に専用アプリの開発まで入れば多額の資金もかかる。

ではなぜ今回のバスロケーションシステムは2週間で設置できたか。それはシンプルな作りにしたからだ。

まず、システム構築にあたって今回のサービスの対象である「JR呉線代行バス各停便」の状況に即し、表示する情報を整理した。代行バスは途中停留所の時刻は載っていない。そのため、遅れ情報というものが作成できない。それならば、「どこへ行く」バスが「どこにいる」という情報がわかればいい。そこで、方向をアイコンの色で識別、更に行先を表示し、地図上にバスの走行位置とバス停位置のみを表示するものとした。

バスに積み込む位置情報端末は坂方面のものと呉方面のものを分けた。端末は始発バス停で積み込み、終点バス停で回収するオペレーションとした。

こうした情報の取捨選択やオペレーションの成果もあって、お盆休みを挟んで2週間でバスロケーションシステムを展開することができたというわけだ。

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実際に運用されていたバスロケーションシステムの表示画面(ヴァル研究所諸星賢治氏(当時)提供)

このバスロケーションシステムの展開には岐阜県中津川市でのバスロケーションシステム整備の事例が役に立っているという。以下に参考資料を載せておく。


いつおきるかわからない次の災害に向けて

最後に、神田教授が一連の動きを振り返って語ったポイントに関して補足したいことを3つ載せておく。

・72時間の作戦立案について
情報収集と作戦立案を72時間でやっておきたい、と語る神田教授であったが、今後は次の様な要素も72時間の中には入れていきたいという。

「今回できなかったが、学校や仕事を休ませることで動く人の需要をコントロールする作戦の立案はしたかった。今回はやりたくても調整するためのネットワークが無かった。しかし、携帯データとかから日頃の人の移動の需要はわかる。今後は移動の需要をコントロールする作戦を立てることも72時間のうちに入れていけるようにしたい」(神田教授)

・情報提供について
今回の広島-呉間の事例では公共交通の運行情報をまとめるサイトの構築と一部バス便へのバスロケーションシステム実装が図られた。しかし、今後は経路検索サービスへの反映はしたいようだ。

「我々が直接、いま国交省がやっているオープンデータ化で使われている標準的なバス情報フォーマット(GTFS-JP)で作られたデータに触れたとすれば、例えば検索アプリやグーグルマップに反映されたかもしれないという考え方もある。いまは代替交通や臨時輸送の情報があっても事業者毎にバラバラに情報が出る。究極はスマートフォンで代替交通や臨時輸送も全て検索できるようにして、災害時にも普段使っているツールが使えるところまではもっていきたい」(神田教授)

こうした思いからいま神田教授は「人作り」も進めているという。

「いま直接公共交通のデータをつくる方法を得て、学生にも伝えている。今後災害起こっても、学生が自分たちでデータを作ることができる」(神田教授)

・財源手当について
財源手当の重要性について、東洋経済オンラインの記事では警備員費の話だけであったが、神田教授は次の様にも語った。

「きちんと枠組みがないと、何かしたくても誰があとでこのお金を精算するのかと突っつかれることになってしまうため、不安でできない。もちろん、お金を出さないのが悪いということではない。運輸事業者は運行が止まるのでキャッシュの入りが止まるから不安になる。お金の手当の枠組みがないからできなくなってしまう」(神田教授)

また、後半で紹介したバスロケーションシステムの構築は協力事業者の持ち出しで行われた。これについては「今回はボランティアベースでやったが、何度もできるものではない」(ヴァル研究所・諸星賢治氏)という声もある。

お金の問題で動きが止まってしまうことはとてももったいない。おそらく費用対効果としては復旧工事に比べれば少ない額で多くの効用を得られるのが災害時の公共交通の手当だ。ゆえに財源確保は重要といえよう。

・おわりに
ここまで東洋経済オンラインに載せきれなかった災害時BRTの舞台裏について、書かせていただきました。今回は「プランニング」の側からの話が中心でした。本当はJR呉線代行輸送バスで大活躍した西日本のバス会社の活躍など「現場」の話も載せていきたいのですが、これはいずれ別の機会に取材をしたいと考えています。

それでは最後に付録として災害時BRTが行われている際の輸送体系とその前後の動きを追う表をつくったので公開させていただきます。

長々とした文章でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。

付録.災害時BRT実行時、輸送体系はどうだったか、時系列で追う

無題

 

【2019年7月】「広島、豪雨被災地を支えた「臨時バス」の舞台裏」に載せきれなかった災害時BRTの舞台裏(前編)

(過去の投稿のコンテンツをこちらに移しております。本記事は2019年7月15日のものです。)

西日本豪雨から1年ということでこの度「広島、豪雨被災地を支えた「臨時バス」の舞台裏」という記事を東洋経済オンラインで掲載させていただきました。

広島、豪雨被災地を支えた「臨時バス」の舞台裏 | ローカル線・公共交通中国地方を中心に甚大な被害をもたらした西日本豪雨から、この7月で1年が経った。豪雨災害による鉄道の不通は、地域の通勤・通学toyokeizai.net 

原稿執筆にあたっては呉工業高等専門学校神田佑亮教授、東京大学生産技術研究所の伊藤昌毅特任講師、ヴァル研究所の諸星賢治(当時)さんの3名に多大なるご協力をいただきました。皆さん「この災害時BRTの記録は残して欲しい」ということで話だけでなく画像提供などもいただきまして、大変感謝しております。

さて、そんな皆様のご協力でできあがった記事を東洋経済オンラインで公開させていただきましたが、実は1本あたりの字数の目安というものがあります。

今回は編集の方にかなり頑張っていただき、5000字オーバーにしていただきましたが、草稿では1万字でした。そのため、内容として載せきれなかった部分もありますので、2つの記事に分割し、書いていきたいと思います。

西日本豪雨から災害時BRTまでの広島―呉間

西日本豪雨により広島―呉間が寸断されたのが2018年7月6日から7日にかけてのこと。そして災害時BRTの開始は7月17日。この間に何があったのだろうか。

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広島―呉間の地図(OpenStreetMapを基に鳴海行人作成 © OpenStreetMap contributors)

まず7月7日と8日は完全に広島―呉市街間は完全に船のみが足になっていた。9日に県道31号線(呉平谷線)の雨量規制解除で呉市焼山と呉市街地の間が開通し、一先ず通行路が確保できた。しかし途中経由する熊野町も甚大な被害を被っており、広島市からアクセスする県道は通行止め、並行する有料道路の広島熊野道路のみ通行可能で無料開放となった。

当然そうなると様々な目的をもった自動車交通が広島熊野道路や県道呉平谷線に集中することになる。中国新聞には次の様な記述がある。

「全長2.4キロの広島熊野道路は10日午前0時になっても、熊野町方面行きの車線に車列が並び、接続する海田大橋まで約7キロに及んだ。(中略)海田大橋具金から通行に約3~5時間を要する。管理する県道路公社によると、有料時の平日平均で約9千台だった1日交通量は8日に約2万5千台、9日に約3万2千台と急増している」
中国新聞2018年7月11日31面『広島熊野道路で大渋滞』より引用)

ちなみにこのとき使えた路線バスは呉市街から焼山へ向かう焼山熊野苗代線(21系統)と熊野町から広島市街へ向かうバス系統の乗り継ぎ。21系統は焼山まで10~15分間隔。焼山地区の昭和市民センター西や一部便が向かう熊野営業所で乗り継げば、1時間に2本程度は使えるルートではあった。

ただ、通常1時間半のところが10日は21系統だけで3時間、さらに焼山地区から広島市内で最大4時間。11日も呉から焼山経由で広島市内まで6時間かかっていた。

ちなみに海路の移動はどうだったか。広島-呉市街間は2つの移動方法がある。1つは広島から呉を経由し、松山へ向かう船に乗る方法、もう1つは広島から江田島市の小用港を経由し、呉へ向かう方法だ。前者は9日朝の広島行きで積み残しを出すほどの大混雑。後者は13日から運航する瀬戸内海汽船のホームページに乗り継ぎ時刻表が掲載された。

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広島~江田島(小用)~呉の乗り継ぎ時刻表(瀬戸内海汽船のホームページより引用 http://setonaikaikisen.co.jp/news/archives/3321)

確かに、呉~江田島江田島~広島は本数がそれぞれ多い。そうすると江田島経由で移動する人が多いのも腑に落ちる。ただ、金銭面では片道1610円(高速船利用)とかなり負担が重い。瀬戸内海汽船では広島~小用間の定期で広島~小用~呉を乗れるようにはしていたが、それでも通勤定期で1ヶ月3万4千円かかる。JR呉線ならば1ヶ月の通勤定期は1万4千740円(広島駅から呉駅)。相当の負担増だ。

また、物流にはやはり陸路のアクセスは欠かせない。こうなるとやはり陸路の復旧、さらにいえば国道31号線やJR呉線の復旧が急がれる。しかし、坂町水尻地区の土砂崩れは相当なものであった。まず国道の開通が急ピッチで進められた。

ここで国土交通省が驚きの手法で復旧させる。それがビーチにそって作られていた駐車場を活用するという方法である。国道31号線より海側かつ少しかさ上げされていた駐車場は土砂をどかせば通行できる状況だった。そこで駐車場に舗装や道路ペイントを行い、約680mの迂回路を作り、11日夜に仮復旧した。

そんな中で13日から広島電鉄の高速バスが「災害時臨時輸送バス」として運行を開始した。これは6時台から20時台の1日14往復。通常時に広島―呉間で走っている高速バス(クレアライン線)は6時台~23時台の68往復だったので、本数としては1/4。しかし、時間が読めない状況下にあってバスの運行をしていたのは地域公共交通を担う足としての矜持をみせたといえるだろう。災害時BRTではこの災害時臨時輸送バスは最終的に6時台から22時台の50往復まで増便した。

広島電鉄では災害時特設ページを設け、広島―呉の運行実績情報公開もかなり積極的に行われていた。こうした広島電鉄の取り組みはかなり評価されてもよいのではないだろうか。以下に西日本豪雨被災時の広島電鉄の取り組みについてまとめたPDFへのリンクを掲載しておく。

タイトル未設定wwwtb.mlit.go.jp


災害時BRTを考えた神田教授の実行力はどこからきているのか

7月17日からはじまった「災害時BRT」をはじめとした各取り組み。これらを考え、実行に移してきた呉工業高専の神田教授とはどんな人物なのだろうか。少しバックボーンを紹介したい。

神田教授は元々乗りもの好きで大学では交通における行動予測を研究していた。その中で、「モビリティ・マネジメント」に興味を持った。「モビリティ・マネジメント」とは次の様なものだ。

「当該の地域や都市を、「過度に自動車に頼る状態」から、「公共交通や徒歩などを含めた多様な交通手段を適度に(=かしこく)利用する状態」へと少しずつ変えていく一連の取り組みを意味するもの」
国土交通省パンフレットより引用)

その特徴としては

「「環境や健康などに配慮した交通行動を、大規模、かつ、個別的に呼びかけていくコミュニケーション施策」を中心として、ひとり一人の住民や、一つ一つの職場組織等に働きかけ、自発的な行動の転換を促していく点」
国土交通省パンフレットより引用)

である。

神田教授は大学卒業後に建設コンサルタントに就職、11年勤めたのちに京都大学藤井聡教授の研究室に入る。藤井聡教授といえば安倍内閣が掲げた「国土強靱化」の原型となる考えを示し、2012年から6年にもわたり内閣官房参与を務めた研究者で、また「モビリティ・マネジメント」でもかなり有名な研究者だ。

神田教授は藤井教授の下でモビリティ・マネジメントについて研究し、また行政との付き合い方を学んだ。このことは神田教授にとってとても大きかった。

災害時BRTや関連する施策は「誰に話をもっていくか」がその後のスピード感にかなり大きく作用している。そこを神田教授は「誰に話しをもっていけばいいか、かぎわけてやっていた」という。

つまり神田教授のこれまでの経験の積み重ねも災害時BRTを始めとした諸施策に対し、かなり大きく作用している。

災害時BRTアイディアの裏にあった過去の災害の実例

災害時BRTのアイディアそのものの源泉にも触れておきたい。実は使っていない道路空間を活用した災害時交通の確保というのは初めてではない。

例えば、2009年8月の静岡県における最大震度6弱地震東名高速道路が通行止めになった際、当時開通前だった新東名高速道路の大井川橋を1日限定ではあるが通行可能にした。

また2016年の熊本地震では、2016年4月に発生した熊本地震の際には九州自動車道植木IC~益城熊本空港IC間をバスや物資輸送用車両の通行を可能とした。災害時BRTはこのことにヒントを得たものだった。

災害時に行われた取り組みというのはこうして次の災害時でもアイディアが利用される。災害時BRTも今後どこかで利用される機会がきっとあるはずだ。

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2009年に行われた新東名・大井川橋の開放(静岡県ホームページより引用 http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-210/new-tomei/hitsuyousei.html

災害時BRTを後押しした県と警察

私が1年前に災害時BRT開始のニュースを見たときに最初に思ったことは「よく警察が許可を出したな」ということであった。交通で様々な取り組みを行うとき、警察との調整というのは相当大変だ。中には警察から許可が下りなかったために中途半端になったり、できなかったりした施策というのがあり、その例は数多く聞いている。

では災害時BRTの時はどうだったのか。裏を聞くと実はこんなことがあった。

「色々交通で手を打とうと思うと、道路行政側がいっても警察がダメだと言ってくることは多い。しかし今回は要素が2つ重なった。まず1つは広島県知事がどんな方法を使ってもいいからなんとか交通を確保しろと言っていたこともある。ただ、県庁側はどうやればいいか困っていた。そこに天応西ICでUターンをさせる話が出てきて、広島県も協力してくれることになった。もう1つは警察に道路から持ちかけた時に関所になりがちな警察が動いたこと。Uターン案を私が提案したことで道路側も道路上のUターンをOKしてくれるということになり、警察側から見るとむしろ話が進めやすくなった形になった」(神田教授)

なるほど、むしろ警察も災害時BRTをやりたかったといえよう。すると、神田教授の「学」という立場が行政と警察を橋渡ししたともいえる。

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広島呉道路の呉インターから災害時BRT区間に入るバス(撮影:神田佑亮)

ここまで「災害時BRT」の立ち上がりまでを実行部隊の中枢にいた神田教授のバックボーンも含めて紹介しました。

後編では「災害時BRT」の運行が始まったあとの「情報提供」について、また今後起きうる災害対応にむけた提言をご紹介します。